変革への柔軟性がこの会社の強さ。(株)アオヤマ精工の七転び八起き
5月2日(金)、本日2社目の取材は、磐田市にある(株)アオヤマ精工さん。
東名高速道路、遠州豊田PAの近所の磐田PA工業団地内にあります。
遠州豊田PAのスマートICを利用すると便利です。(^^)
工作機械メーカーに向けた各種部品の製造販売、機械・装置の修理、
治具・工具の製造を手掛けています。

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対応して頂いたのは、代表取締役の青山行雄さんです。
株式会社アオヤマ精工 の創業は昭和44年。青山社長は初代の社長です。
昭和21年生まれの68歳。まだバリバリの現役で会社を仕切っています。
今まで幾度となく危機を乗り越えてきた経験を大いに語って頂きました。(#^^#)

「今までに6回ほど危機がありました。創業間もなくドルショックがあり、
 石油ショックがあり、円高があったり、バブルがはじけて、この前はリーマン
 ショックでした。そんなところを乗り切ってきました」(青山社長)

乗り切ってきた秘訣は何でしょうか? (^^;

「会社はナマモノ。やるのは人です。ですからお客様の要望に合わせて物を作って
 行く姿勢、それが大切ですね。耐えられない人は会社を去りました。ですから
 トップは社員以上に覚悟を決めなくてはなりません」(青山社長)

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写真:今回展示する、 ホーニング加工ホルダーや各種コレット。
   自動車やオートバイ部品を製造するための治具。

これらのホルダーやコレットは航空機の部品なのですか? (゚△゚;)

「いや、これらは自動車オートバイ関係のものです。当社の仕事の7割以上は
 まだそちらが多いです。航空機の仕事が増えるのはこれからですね」(青山社長)

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青山社長は初代の社長ですよね? (^^;

「元々は百姓の倅でね。畑仕事をよく手伝わされました。田植えの時期は
 朝4時から夜の8時まで働いていました。耕運機などない時代でしたからね。
 そういう経験があり最初は耕運機を作る中小企業に入り、
 8年間色々勉強させてもらいました」(青山社長)

「それから独立するワケですが、物の運と言いますか、人の力がないと会社と
 言うものはやっていけないですね。直接ではないけれども自動車関連に仕事で
 関われましたし、これからは航空機・医療・食品の分野にも関わりたいですね」(青山社長)

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「あとは自分の息子がどこまでやってくれるかが楽しみです」(青山社長)

息子さんに継がれる予定なのですね?

「あと2年ほどで私も70歳になるので、その頃を目標に。
 会社がいい状態の時に渡したいのですが、なかなか・・・(笑)。
 形は変えても商売として続けられる様に5年先10年先を見据えて
 段取りをつけているところです」(青山社長)

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「自分たちの時は高度成長期で伸びて行った時代でしたからね。
 まあ元々が一銭もないところから始めた商売ですから(笑)」(青山社長)

その開き直りに近い『明るさ』が、貴社の強いところですよね!(^^)

「いや~(笑)、だからゼロになっても別にいいと思っているンです。
 でもやはり社員とその家族がいるもんですからその人たちの生活のことも
 考えると、何とかせにゃならんという気持ちになります
よネ」(青山社長)

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写真:青山精工のロゴマークの型。

社長の信念ってなんですか? (^^;

「まあ、信念というか・・・従業員を大切にすることだよね。
 その人たちのお陰で今があるワケで。最終的にはお客様に辿り着きますが
 結果として信頼感で成り立っていることなんで。弊社のロゴの意味は、
 お客様、従業員、会社の3つが信頼関係で成り立つ柱なのです」(青山社長)

従業員の方で長く勤めていらっしゃる人は何年くらいですか?

「うーん、40年くらいかな・・・」(青山社長)

そ、そんなに長く勤めているのですか! (゚△゚;)!

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写真:工場内にある機械の数々。種類が多く充実しているのが自慢です。(#^^#)

「全部社内の機械で出来るとすると、外注に出した時の要因に影響されないから、
 急ぎの仕事に対応できます。時は金なりですからネ。景気が悪くなると余計に
 自社で賄えることが活きてきますよネ」(青山社長)

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青山社長とともに。「展示会、頑張るゾ!」(笑)

「今まで金型もやり、プレスの型もやり、プラスチックの型もやり
 成形もやり、機械も作って来たり、色々経験してきました。
 特化しなかったという弱さもあるけど、お陰様で自分たちが技術的に
 どういう方向へ行ったら世の中の役に立つか、だんだん見えてきました」(青山社長)

青山社長、今日は長時間、ありがとうございました! (#^.^#)


編集後記)
青山社長はのお話を伺いながら、つくづく思いました。
色々なご苦労をされたこと、だけどその都度、柔軟な発想で雑草のように
しぶとく生き抜いてきたこと。それを支える強さと明るさがあったこと。
本ブログには青山社長の生き様のほんの一部を紹介しました。
すべてを載せられないのが残念です。(^^;;

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